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今日で7年。東日本大震災の日に経験したこと

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今日は3月11日。

あの日から7年が経った。

 

そのとき、あっしは東京にいた。

東北ほどではないけれど、地震後しばらく生活に不安を覚えて過ごした。

今日は少しだけ、そのときのことを語ってみる。

 

 

被災場所は15階建てのビルの9階

当時あっしはSIerに所属していて、東京都内の客先の現場に常駐していた。

目前に迫ったリリース日に向けて、プロジェクトの最終段階の作業をしているときに、それは起きた。

 

時刻は14:46。

突然、ビルが大きく揺れだした。

 

あっしがいる場所は15階建てビルの9階。

立ってられない位の揺れで、左右に大きく移動する目の前の机をどうにか押さえることで精一杯。

 

地震であることはすぐにわかったが、逃げる余裕はまったくなかった。

揺れがどんどん大きくなって、一瞬「ここで死ぬのかな」と頭をよぎったぐらい。

 

どれぐらい揺れていただろうか。

しばらくして揺れが収まったが、頭の中は真っ白だった。

 

すぐにネットニュースを見たところ、東北を震源とした地震であることを知る。

東京の震度は5だったか6だったか。

とにかく経験したことのない揺れで、恐怖でしかなかった。

 

すぐに家族に連絡を取ろうとしたところ、回線が込み合ってて携帯がまったくつながらない。

仕方なく、公衆電話を利用するために外に出ることにした。

 

ビルのエレベーターは使えなくなっていたので、階段を使った。

その移動中、ビルの内壁に大きな亀裂が入っているのを見て、ますます恐怖を覚えた。

 

なんとか公衆電話に辿りつき、外出中のヨメさんと連絡が取れ、無事を確認。

実はこのとき子供が生まれたばかりで、その日は子供を抱えて病院に行っていた。

病院でもそうとう揺れたらしいが、大きな病院だったので、せまい家にいるよりかは安全だったかしれない。

 

それから会社は早退して、ヨメさんと子供を迎えに行くことになった。

 

 

通勤時間40分のところを10時間かけて帰宅

迎えに行くにも、普段は電車通勤のあっし。

電車もまともに走っているかどうかわからないし、もうタクシーしかないと思って、駅に向かう。

 

タクシーもなかなかつかまらないだろうな、と覚悟していた矢先、乗客が降車するタクシーが目の前に止まる幸運!

すぐに捕まえ、乗り込むことに成功。

家族が待つ病院へと向かった。

 

さすがに道路は混んでいて、普段は30分もあればいけるところを1時間かけて到着。

子供の顔を見て、無事でよかったとしみじみ。

家族をタクシーに乗せて家に向かった。

 

ここからが長かった

道路は混み、歩道には帰れない人たちの行列ができあがる。

 

そのうち日は暮れ、すっかり夜になった。

乗ったタクシーはまったく動けず、運転手さんもイライラしはじめる。

 

そのうち、子供のミルクの時間が訪れる。

生まれたばかりの子供は、3時間ごとにミルクを飲む。

 

しかし、作るにはお湯が必要だ。

哺乳瓶とミルクは所持していたが、当然のことながらお湯はない。

さあ、どうしようか。

 

タクシーの外を見ると、店じまいをしたばかりの弁当屋さんが視界に入った。

どうせ動けないし、ちょっとあのお店に行ってお湯をわけてもらおうか。

 

そう言ってヨメさんはタクシーを降り、弁当屋さんにお願いして、哺乳瓶いっぱいのお湯をおすそわけしてもらった。

いい人でよかった。

 

時刻は22時をさし、タクシーに乗ってから6時間が経過した。

タクシーは相変わらず進まず、外は帰宅難民であふれている。

 

その情景を見て、改めて地震って恐いなと思った。

自然の力には、人間はまったく無力な存在だと思い知らされる。

 

日付は変わり、午前2時。

なんとか家まで一駅ぐらいのところまできた。

 

ここまでくれば徒歩で帰れる距離なので、ここでタクシーを降りた。

乗車賃は3万を超えていた。

 

午前3時、なんとか帰宅。

家の状況が心配だったが、何ひとつ割れたり倒れたりしてなかった。

こっちも結構揺れたはずだが、ひとまずほっとした。

 

今日は疲れた。

明日が土曜日でよかった。

そんなことを思いながら、寝床についたように記憶している。

 

 

不安な日々を過ごすが、それも短い間だった

次の日、ニュースを見て、改めて地震の実体を知る。

そして、しばらく今後の生活に不安を感じながら過ごさざるを得なかった。

 

福島原発の影響で、乳児に水道水を飲ませてはいけないお触れが出ると、お店から水が消えた。

このお触れはすぐに解除されたが、これからちゃんと子供を育てていけるのか、ものすごく不安になった。

 

その後もしばらく水の確保には不自由したが、実家から食糧と一緒に送ってもらってもらうなどしてしのいだ。

余震も度々起こっていて、怯えながら過ごす日々が続いた。

 

ただ今を思えば、東京はかなり早いうちに通常の生活に戻った気がする。

かなり揺れたものの、直接的な被害は少なかったし、影響したのは水と電気ぐらいだったんじゃないかな。

 

いつ死ぬかわからないと思って生きる

本当に死ぬんじゃないか?ぐらいの思いをしたのは、これが初めてだった。

もう二度と経験したくないけど、今を思えば貴重な経験だったな。

 

さらにこの地震は、原発爆発という人災も同時に引き起こしている。

いろいろと考えさせられるきっかけにもなった。

 

自然の前では、人間は無力。

いつ災害が起こるかわからないし、いつ死ぬかわからない。

 

そう思ったら、今日やることがあるんじゃないかって思えるようになった。

1日1日を大事にして、生きていきたいよね。