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プロジェクトは破綻する。

ブログ開始から100日連続更新チャレンジ中

【25日目】転職をきっかけにエンジニア半生を振り返ってみる(2)

SIer エンジニア 語ってみる 事業会社





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昨日に引き続き、あっしのエンジニアの半生を振り返る。

今日は、暗黒のSIer時代から。

 

本格的なシステム開発SIerの惨状を知った2社目(2004~2008)

SIer時代については、以前ちょっと語っている。

blog.momokuri777.com

 

ここでのあっしはエンジニアとしてどんな人だったか。

  • 様々なITソリューションを事業とする会社の開発部門のエンジニア
  • 前職のweb系開発経験から、地方銀行のサイトリニューアル案件を担当。phpapatchoraclelinuxで構築。バックエンドはcoldfusion、vbなど
  • それ以降は、いろんな現場を転々。ほとんどがjava案件。現場たたき上げで習得
  • 30を過ぎた頃からPLをやるようになる。実装から離れ、仕様調整やスケジュール管理がメイン

 

この頃、エンジニアとしての技術の上積みはjavaを覚えたぐらいで、あまり成長したという感覚はない。

それよりも、なぜこんなにみんな自分勝手なのか、明らかにおかしいことをなぜ続けるのか、という仕事の現状をどうにかしたいという意識が強かった。

そのときに、この現場はどうやったら無事に完了を迎えられるのか?というちょっと広めの視野を持つようになった。

 

それは「自分の力でプロジェクトを成功に導きたい!」とかいう前向きな理由ではない。

1人の無能な旗振り役のせいで、みんなどんどん体を壊していくのを目の当たりにしたからだ。

あっしもいつか、こうやってつぶされていくのだろうか?と思った。

 

いや、だったら自分が旗振り役になればいい。

そうなるための力をつけて、体を壊す人が出ないような仕事をみんなでしたい。

そういう意識が根付いた時期だった。

いわば、一種の防衛反応である。

 

同時にマネージャとか上司とかいう上の立場の人を信用しなくなった。

この人たちは、肩書きを振りかざして平気で下の人間をつぶす人種だ、と。

昨今起こった電通の事件は、氷山の一角。

閉じた世界では、理不尽なことが普通に起こっている。

 

技術は向上しなかったけど、自分を守るための術を学んだ時期だった。

 

東京には魔物が住んでいることを知った2社目の転勤時代(2009~2011)

会社が東京にオフィスを出すというので、その立ち上げメンバーに志願した。

東京は仕事も面白そうだし、一度経験しておきたかったからだ。

 

確かに、東京に仕事はたくさんあった。

商流も2次請け、3次請けとかじゃなく、ユーザ直案件もあった。

地方に比べると事業会社が圧倒的に多い東京は、それだけチャンスがあることは間違いない。

 

しかし転勤しても、あっしの仕事の内容は変わらなかった。

技術者としての上積みはほとんどなく、SEとしてベンダーとプログラマにはさまれて仕様調整を繰り返す日々。

そして現場では相変わらず体調を崩す人が続出。 

東京に仕事はたくさんあるが、良い仕事とは限らないのである

 

紛糾する現場で、あっしはチームリーダという立場ではいたので、あっしなりにメンバを鼓舞して成果を出そうと努力した。

これまでの経験から「失敗しない仕事メソッド」を自分の中で確立しようとしていたので、それをひたすら実践する日々だった。

しかし最終的に、あっしは限界を感じてしまう。

 

東京の現場では、これまで出会ったことのない人たちとたくさん会った。

めちゃくちゃすごい人がいたときは、さっすが東京やな、と思ったことはあるが、同じぐらいやばい人もたくさん見てきた。

地方は+10から-10までの触れ幅だけど、東京は+100から-100の幅があるイメージ。

モノや人口が多い分、それだけ人の幅が広いのかなと考えている。

  

とにかくいろんな人が居て、こっちの想像を簡単に超えてくるのだ。

すごい人ならいいけど、やばい人はちょっと手をつけられないというか、関わり合いたくない。

こんなの自分の力だけでどうにかなるようなもんじゃない。無理!

そう悟ったのだ。

 

ここでまず、SIerという業態がおかしいんだな、ということに気づいた。

とりあえず集めてきて開発させる、というのは現場を疲弊させるだけだ。

その上さらに、東京という多人種の街がそれに拍車をかけている気がする。

 

東京のSIerには悪魔がおるよ。

あっしはどうしたらいいのか。

 

そんなときに、ある現場で知り合った事業会社の人と飲むことになった。

本当に悩んでいたので、思い切って打ち明けた。

「ウチにきます?」「いきます」

導かれるようにあっしは転職した。

 

いまいる事業会社(2012~)

という経緯で、いまの会社に居る。

まだ在籍しているので、詳細はまたいつか語るとして。

 

先週、あっしが辞めることが社内周知された。

同じ部署や、仲のいい人にはすでに言っていたので、別に何も影響ないだろうなと思っていた。

すると、それからいろんな人が「残念です」と声をかけてくれるようになった。

「飲みましょうよ」と言ってくれ、日程もどんどん埋まっている。

この反応に、あっしの方がびっくりした。

 

先日も書いたが、あっしはここのところ誰にも媚びない生き方をしていた。

blog.momokuri777.com

 

仕事は成果にこだわり、おかしいところはおかしいといって、信念を持って取り組んできた。

失敗を恐れ、認識の齟齬が起こらないように、関係者との連携は怠らないようにした。

他人にもそれを求めていたので、うるさく思われたことはあったかもしれない。

相手が上の立場の人だろうが、ひるまなかった。

すべては会社のため、そして自分のためと思ってきた。

 

賛否はあると思っている。

露骨に煙たがる人もいて、そういう人とは話さなくなった。

でも成果を出し続けることで、認めてくれて、仲良くなった人も増えた。

 

ちょっと前、他部署のある部長が半年に1回会社に貢献した人の表彰にあっしを推薦すると言ってくれた。

そういうのは普通、自分の部下を推すものだ。

あっしはその人のことをすごいと思っていたから、その人に認めてもらってすごくうれしかった。

まわりがどう思われてるかわからないが、その人に認められただけで満足だったので、推薦は取り下げてもらった。

その出来事をもって、もう十分だなと思った。

 

からの、退職発表後の意外な人たちからの「残念です」だった。

いろんな言葉をかけてくれて、こっちがちょっと戸惑ってしまった。

自分のやってることが報われた気がして、本当にうれしい。

 

エンジニアとしては、技術力があまりないままにここまできてしまった。

そのせいでつらい思いをしたこともあるけど、自分で選んでここまできてるので後悔はしていない。

とりあえずいま自分のやったことを評価してもらってるから、辞めた後も自信を持って続けられると、明るい未来を描いている。

 

半生を振り返ってみたけど、悪くなかった。

特にいまは絶頂期かもしれない。

しばらく確変状態を楽しもう。